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建築をはじめた理由1

「どうしてですか?」と尋ねられる機会はこれまでにもあり、用意してある答えをその都度答えていたのですが、改めて問われることがあり、この場をつかって一度すっかり棚卸ししてみようと思い書き始めます。鞄に入っているものをテーブルの上にいったん広げてみるようなつもりで、ここでは整理するというより思いつく事を書きますので、ご勘弁。お付き合いいただけましたら幸いです。


建築を始めた理由。

直接のきっかけは、中学の時にそれまでの社宅住まいから自宅を新築して引っ越すことになったことだ。
あたらしい家は、当時から遡ること20年ほど前、札幌オリンピックに併せて延長された地下鉄の終点「副都心」をターミナル駅として開発された新興住宅地の一角で、街路樹も植えられたばかりで、人の気配がまだ薄い、寂しげなところだなと思ったことを覚えている。

幹線道路を横断せぬよう配置された小学校の校区を単位に、道路が計画された模範的「近隣住区」である。

それまで住んでいた社宅は、建物は古く冬は恐ろしい寒さだったが、周囲にはしっかりしたマンションが建ち、15分くらい歩くとブティックが並ぶ通りもあり市内ではわりと良いエリアで、おそらくはバブル期の活気のせいもあって、いつもポジティブな人の気配があった。

社宅は半丁角の敷地に平屋の住宅が中庭を挟んで2列にのんびりした間隔で並び、(札幌の1丁角は京都のそれよりも小さいのだけれども)その一角だけペンペン草やヒメジオン、ほかにもよくわからない草が伸び放題で住人はめいめい適当な範囲を耕して家庭菜園を楽しんでいた。土は肥え、掘ると太くて立派なミミズがたくさん捕れた。
よく考えれば とてつもなくぜいたくな土地の使い方だった…。

さすがに会社の資産整理の対象とされてしまったのか、いったん駐車場になった後、中層階の病院が今は建っている。
エリアに相応しい、社会の必要に答えた納得のいく活用のされ方で、たまたま帰省時に車で前を通りかかり様子を見かけてほっとしたのは確かだ。
入院の患者さんも受け入れ、医療をたくさんの地域の人たちに提供している。

そのことを思うと、あの、ぜんぜん有効活用されていない密度の薄さと、今の充実ぶり(密度も、機能も)とのギャップの前に 何と言えばよいのか 言葉が出なくなってしまうのだ。

いえ、そこを言葉に置き換えるのが 本稿の目的だったはずなのだけど…苦笑

あのぜいたくな原っぱで。
家と家の間には塀もなくて丸見えで、「お向かいのおばあちゃんが今年も畑の準備を始めたね」と言って菜園作りのスケジュールを立てていたり
やはり庭を挟んだ反対側の、窓の明かりが見えるような距離に住んでいて、繊細な心の調子を崩し学校に来なくなっていたクラスメートのために、先生に頼まれ給食のパンを届けに行ったこと。庭をつっきって行き来のできる同じ社宅に住む友人と毎朝一緒に登校したこと。
庭につもった雪で囲いやテーブルを造って「家ごっこ」をしていたら、遊び心を起こした母がお昼ご飯の暖かいそばを窓から差し入れてくれたこと。

夢のような濃密な時間があのぽっかりと空いた空間には流れていた。
暮らしたのは5年に満たない年数だったが、十代の頭の多感な時期に過ごしたせいか、印象深く残っている。

ああいうゆるい雰囲気は、下町風の濃いコミュニティーとも違う、
クールな距離感もありつつ、社宅特有の気を許した雰囲気があってのことで
それまでに住んだ社宅はどこに行っても同じような4、5階建ての団地のようなつくりだったから、ちょっとした奇跡が重なってうまれた空間だったと思う。

人が遠くに居る気配を感じながら、思い思いの方向を向くことが許されている。自由だが護られてもいる感じ…子供時代の幸福な一場面の記憶はだれにもあるものだと思うが、私の場合は、あの中庭がそれだった。二十数年後の現在、しっくり来るところを探して検討を続けているとき、自分の身体の奥にある、あの感触を思い起こしているのかもしれない。 

…つづく。
 
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by o-oik | 2014-02-22 16:02 | プロフィール