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人はなぜ「美しい」がわかるのか

というタイトルの本を 時々思い出しては
取り出して読み しているうちに、
終盤にさしかかりました。
作者の橋本治さんは「桃尻語訳枕草子」を書いた作家さんです。
読んだことはないけれど、当時NHKあたりで放送していたから
バブル期のOLのような調子の 
「やっぱり春は曙よね」というくだりで
そうそう、と思い出した。懐かしい-。


ものをつくるのに、時間がかかることを
肯定して、良い建物をつくろうとするのが
設計事務所だと定義しているのですが
うっすらマイナーな存在だと
気付いているので 発言の仕方が難しい。


大量生産の家を見て、どうして「美しくない」感じがしてしまうのかと
いつも不思議に思っていたのですが (自分の実家は○○ホームですが、
これはもう、子供の頃から「今度の新しい家はなんだかおかしい」と感じていました。)
部材や納まりの標準化をして
なるべく時間をかけず=コストを最小限にという価値観そのものが
ものすごく悪いことだとは どうしても思えないから。
なのに このもやもやは何だ、と思っていたわけです。

モダンデザインが興った当初の理念は、
大量生産でよいものをみんなが手に入れることができる
というものだったはず。
アリンコチェアだって大量生産できるデザインだし。
(特別好きなわけではありませんが、人気があるということで例に出してみた)

なのになぜ家の大量生産は「アリンコチェア」にならないのか。
当然、デザイン(計画)を十分練る 
ということが椅子では可能でも
住宅では 住む人も、場所も、一件一件要件が違うはずなのに
仕様や、プランをいくつかのタイプで割り切ってしまっているところが
違和感を感じさせる理由なのでしょう。

最近はハウスメーカーも「カッコイイ」デザインを売りにして
一部ではハウスメーカーと設計事務所の差は
結構小さいとも思います。

でも、そうじゃないんだ、設計者に相談に乗って欲しい! 
というお施主さんの嬉しい顔を見たいと
事務所を開いているのですが
「時間を掛けている」=「良い」では 人は納得しないでしょう~、と
まだ後ろめたさが 残っているのでした。
難儀です。


さて、やっと本題に戻って
本の中では
「試行錯誤」「ためらい」と「挫折」
つくるという行為は「葛藤」の中を進むこと。という定義の後で、

ものをつくりながら、「ためらい」という研磨剤でろくでもない「思い込み」を削り落とし、
「完成=美しい」というゴールへ近づけるプロセス


とあります。
設計のプロセスの秘密が
いきなり文章になって目の前にあらわれた感じです。

利害による思い込みを排した、ごくごくまれに訪れる「人の自然状態」
「思惑を超えた自然だから美しい」なのです。

ものをつくるプロセスからためらいという「時間」を省いていったのが
大量生産の家だ、と言えるのなら、
ためらいなしに観念を現実化させてしまうことが、
子供の頃から感じていたなんだかおかしい感じの
原因なんではなかろうか。
と思い至ったのでした。

大小さまざまの「欲望」を形にするのが設計の仕事の
一面ですが、欲望を詰め込んで形を整えるところから
一歩抜け出して、
住む人も、設計する側も思い込みから自由になれて、
「こんな良いこともあったのね」
と嬉しく発見してもらえるような、
そういう良い提案ができると良いなぁ
と願っています。

(以上、長い+解りにくい宣伝でした。)
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by o-oik | 2009-02-20 21:34 |