カテゴリ:建築( 7 )

はじまりの瞬間

秋の美しい日が続きますね。久々の更新です。気付けば、住宅医スクールも既に後半。。
近頃は良い気候のなか、地道に実施図面を書き進めています。
夏、汗でドロドロになりつつ基本設計をまとめていた日々が嘘のようです。笑

先日、短い期間に連続して学生時代の友人たちと会う機会がありました。それが引き金となったのか、当時のことが記憶の水底からぽこぽこと湧いてきて仕方がない。
今の自分がやっていることは、はっきり言って当時立てた仮説の検証作業と言える。13年かけて孔を掘り進めてきて、そうだなと思うのですが・・。

日曜、京都造形のスクーリングの帰り道に、学生とカーンの話をした。
ルイス・カーン。(生前事務所を訪ねたことがあるというある御大はルイ・カーンと読んでいました。)


”平面図を見ると、構成は厳格だし、厳格な建築に見えるけど、実際はハッピーな場所だったよ。”

「自由さを構築する」とでも言えるような課題を設定し苦戦していた相手が、オーダーに従ったカーンの建築への共感を示したことへのレスポンスとして
自分が学生の頃に見たソーク生物研究所に「ある」、と感じた衝動のようなものを伝えたいと思い発した言葉だったけど、あれでは伝わらなかっただろうな・・苦笑。

ソーク研究所は、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴの北部ラホヤという町の海を臨む丘の上にある。
ロサンゼルスの周辺は外を歩くにも緊張感がある喧噪で、当時は夜間観光客が外をふらふらするなんて御法度!という雰囲気だったが、アムトラックで南下したいったラホヤはこじんまりしたリゾート地で、うって変わって静かな場所だった。高所得層の老後の保養地だったようだ。ホテル近くの海岸通り沿いにはヴェンチューリの設計した美術館、青空の下青い芝生。
夜になると細い道沿いに並ぶ木塀の内側からは、庭に出て食事をする人達のグラスの音や話声がさざ波のように聞こえて来る。みなリラックスして、夜風に吹かれてのそぞろ歩きも平気なゆるんだ空気が満ち満ちていた。初めての海外旅行の緊張から一時解放されて、安全で余裕があるというのは何と素晴らしいことか、と感じ入った記憶がある。

ソーク研究所と言われても?と言われる方には、分子生物学者の利根川進がノーベル賞を受賞した研究を行っていた研究所と言えば分かっていただけるだろうか。私はまったくそういう予備知識は無しで、ただ旅行先で足を伸ばせそうな建築をピックアップしただけだったが、旅から戻り『精神と物質』を文庫で読んでそのことに気づくまで「あんなすばらしいところで働けるなら、生物学者になっても良い!」と廻りの友人に口にしていたくらい感激は大きかった。すぐに思いとどまって本当に良かった。笑

私が使った「ハッピー」という言葉では底が浅いかもしれない。カーンは著作の中で「JOY」という言葉を使っている。ハッピーは外から見て描写のできるイベントが引き起こす状態で、JOYは何もしなくてもおなかの底からわき上がって来るような歓び。と私は解す。
       
       *  *  *

さて、あの場所に立った感じを何と理解するか。
西海岸の気候、明るいトーンの海と空、それらを反射するトラバーチンを敷き詰めた中庭のせいには違いないのだけど、「西海岸のせい」と片付けたくない。
あこがれの建築を訪ねた学生の高揚感は増幅器の役割くらいは果たしただろうか。
ある建築家が、ソーク研究所の施行中の写真が建築雑誌に発表されていたのを目にし「職人達が打放しコンクリートをつくり上げていく姿が、喜びに満ちているように見えた」と書いていた。
その職人達の喜びが、壁の間の空間に、こだましているのではないか
そう、想像してみたくなるが、これもある意味即物的すぎるかな。

”はじまりの瞬間の可能性を表現する”その喜び、ということなのか。
ここに留めておくのがきっと良い。

”はじまりの瞬間の可能性を表現する”
これもカーンの言葉だけど、建築論集の序文でI崎氏がカーンの思惟は「秘教的にも見える」と指摘していて、だからプラグマティズムが席巻していたアメリカの建築界で一時忘れ去られ、読解に光が当たらなかったのだ、この論集ではハイデガーの思想との関連性で注釈が加わり理解を助けてくれる、というようなことを記しておられるのですが、、、私にはかえって分かりにくかった。笑
カーンは秘教のイニシエートだった、と理解する方がよほどすっきりするのじゃないだろうか。
もし万が一、共感できるという方が居たらお声がけください。語りましょう。笑

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by o-oik | 2014-10-30 16:18 | 建築

石川丈山の終の住処ー京都その3

GWの前半いかがおすごしでしたか?
昨日はピーエスさんのノルディックウォークイベントに参加、久しぶりに18kmほど歩いてき
ました。
代々木八幡から出発して、都内をぐるっと表参道から麻布十番、アメリカ大使館の前を通って外堀通りに抜け、赤坂の御用邸に沿って明治神宮までもどるコース。ブランチをはさんで朝からお昼までたっぷり歩いて、充実した時間でした。(ピーエスのみなさん、ありがとうございました。)

      *     *     *

ここから「京都」のつづきです。
蓮華寺の本堂に掛かった寺額の作者で、作庭に加わった、とも言われている石川丈山が隠居の住まいとして造営したのが詩仙堂です。
現在は「丈山寺」という曹洞宗のお寺になっていますが、もともと「住宅」だったんです。訪れてみると、力がふーっと抜けてるようなくつろいだ雰囲気で、「ここはお寺ではナイ(空間が)」と知らせてくれます。訪ねたのは打合せの終わった月曜だったため見学者も少なく、時折風が通り抜けてゆく畳の上には、横になっている先客も…。

丈山は武を捨てて学問と詩に人生を定めた文人。庭と一体となるように縁が廻り、書院を繋いでいます。天井高は住宅らしく抑えられ、枯山水の方丈庭園はつつじの刈り込みと楓でいったん囲い込んで、落ち着いたスケールを守っておいて、階段をおりた2段目の庭、さらには渓水を挟んで南側に続く瓜生山の山林へと繋がる、どこまでが庭か分からないようなデザイン。四隅が丸く残った面皮柱が文人の終の棲家にピタッと嵌っておりました。
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調べてみると、丈山が凹凸窠(おうとつか)と呼ばれたこの地に過ごしたのは90歳で亡くなるまでのおよそ30年。

以下”  ”内は『艶隠者ー小説石川丈山』より引用。

”一眠りして起きだすと、新たな一日が始まる。凹凸窠の周辺の片付けをおわると、丈山は自分の好みに応じて山茶花や侘助椿、山桜に紅梅の梅、楓に棕櫚などを植えはじめた。下の庭には冬菜や芋を育てる畑。それも周りの原生林にとけこめるようにごく自然に配分しようとした。”
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椿にレンギョウ。下の庭は三段目まで続きますが、そこは後世の造営とのこと。小説にあるように、2段目は、はじめは菜園だったのかもしれませんね。獅子脅しが有名な庭。庭の手入れをしていたおばさまも「ここだけ見ておけば大丈夫!」と太鼓判を押しておられました。(写真は無し)
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”朝、白室と称した寝房を置き出で、燕居と称した居室で、門人の運んできた朝粥を食べ、猟芸巣から至楽巣と改名した書院に入って書見台に向かう。書に疲れると杖をひいて庭に入り、山林に向う。丈山の一日である。”

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正門を見る
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西日を受ける方丈庭園。
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書院から。
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当時の様子とは違っているやもしれませんが…
ちょうど春の開きかけの楓の緑もまぶしく、すばらしい庭でした。
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by o-oik | 2014-04-30 16:24 | 建築

古色は極彩色ー京都その2

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今日は風が気持ちよい日ですね。
思い出しつつ、はや一週間経過しました「京都」のつづきです。

三千院では宸殿とその庭園など拝観したのち往生極楽院へ。

「往生極楽院(ごくらくおうじょういん)」は国宝の阿弥陀三尊像が納められているお堂。
慣れた感じのお坊さんが解説してくれ、見学者を楽しませていました。
さすがは京都。観光スポットとしての受け入れ態勢がこなれていることに感じ入ります…。

さて、お堂の天井は煤で覆われ、その暗がりの中、阿弥陀如来を中心に三体の仏像が金色に浮かび上がる
・・・
まさに古色蒼然といったところですが、
黒く見える天井には極彩色で描かれた来迎図が描かれていたと
赤外線を使った調査で分かったのだとか。

復元された天井画を敷地内にある円融蔵(えんにゅうぞう)で見学することができました。

そこで目にしたお堂の内部には、
舟形天井の正面妻に、雲に乗った楽隊
天井には花びらを撒き空を舞う天女
さらにずらり並んだ菩薩様。

パッキリしたブルーの背景に、朱、緑、ピンク・・問答無用で楽しそうな色使いです。
ブルーに使われていたのはアズライトという鉱石。
見上げれば天女は花びら撒いているし、
楽隊は笛に太鼓に琵琶かき鳴らすし、
どこからか音楽が聞こえてきそう。
浄土からの迎えも悪くないという気になります。笑


昨年公開された高畑勲監督の「かぐや姫の物語」のラストの月の使いが降りて来るシーンが印象に残っているのですが、(これから見ようという方は、読み飛ばしてください。。)

あのモチーフは来迎図にあったのね…と納得がいきました。哀しいラストですが、無慈悲なまでに楽しげな音楽とともに、雲に乗ったお迎えの一団が主人公を連れて行ってしまうシーンに、来迎図のモチーフは嵌っていると感じます。

ちょっと脱線。

煤の覆いは天井画を腐食から護り、現代の私たちにとって安心して
鑑賞できるイメージを護っていたとも言えますが、
世界中にある古建築や遺跡で、顔料を特定する技術が応用されるようになったことで、
イメージが更新されてゆくのはエキサイティングなことですね。

…それにしても、この天井のもとに金色の三仏が鎮座するお堂、
当時の人からみるとそうとうに刺激的ですよね。


まだつづく。
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by o-oik | 2014-04-23 15:05 | 建築

京都五条坂にある陶芸家の家-河井寛次郎記念館

盆休みが終わりますね。わたしもどこか休暇へ、、出かけることはなかった夏ですが
先週末、久しぶりに京都へ行ってまいりました。
非常勤講師を務めている京都造形の前期課題の合評会に参加するための、出張です。
京都、大阪、東京の4スタジオの先生方が一堂に集まり、学生の案を通しでみる充実の丸二日間、後期に向けつらつらと、クリティックを聞きながら、わたくしにとっても勉強になる二日間でありました。

   *  *  *

さて今回の京都行き、お施主様から「とても良い」と伺い、訪ねる約束をしていたある場所を見に行くという、もうひとつの目的が。京都は五条坂近くにある「河井寛次郎記念館」。陶芸家河井寛次郎のアトリエを併設した自邸です。代々建築業を営む家に生まれた寛次郎が自ら設計したものだそう。


こちらが、とにかく、とてもすばらしかった。

この文章を読まれている方、もし、機会があればぜひ行ってみて欲しいです。
吹き抜けのある黒光りする板の間や、のびのびとした二階の座敷、2畳程度の書斎のような部屋・・・
創意工夫のある民家、ではあるのですが、なにより陶芸をつくるための家。

もともと、五条坂に昔、(といっても京で言う昔とはいつ頃なのでしょうね。)からあった登り窯を譲り受け、そこに住居を構えた寛次郎が、後年建て替えたもの。
通りからは、京都の町屋のファサードですが、母屋から中庭を抜け、緩やかに傾斜する敷地の奥に登って行くと、「アトリエ」にあたる空間が控えています。


素焼き用の窯と、本焼きの登り窯、二つの窯が家の要(かなめ)だと感じられ、
この住まいの最深部、例えるならば、神社でいう本殿にあたる部分がこの登り釜、日の光を受け大きな生き物のように佇む存在感が、この家を深いところで決定づけているようでした。

休憩のための部屋が、それぞれ 作陶のための工房とふたつの窯への動線の起点ともなっていて、作陶を日々の仕事とする暮らしが、自然な動きとなって思い浮かぶ構成、仕事の合間に一息つく姿が見えるよう。
優れた計画だなと感心しつつ、掴みかねていた、基本プランのヒントも、京都で頂いてきたようです。笑
これも面白いご縁だな~と。


自分の記録のためにも、写真を何枚か並べて置くことにします。

朝になったら月曜日がスタート。なにやら新しい感じ。
どなたも、良い一日となりますように。


e0132960_2241387.jpg母屋









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休憩スペースから中庭を見る。左手に素焼き用の釜が見えている。
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昔からの「火」の仕事、軒のある半屋外で。記録では、中庭で絵付けをすることもあったようです。e0132960_2272081.jpg







作陶の工房。けろくろが床に埋まっています。障子で明かりをとる。
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↓登り釜。あちらこちらに、神様を祭ってあるのも印象的、火の神様でしょうか。
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by o-oik | 2012-08-20 03:19 | 建築

住宅設計を教えることになりました。

先日、また京都に行ってきました。
桜咲く観光シーズン真っただ中。ゆっくり観光を、、、

ではなくて、
この春から非常勤講師を務めることになった
京都造形芸術大学の、オリエンテーリングのための滞在です。
とはいっても、道すがら春の京都の浮き立つような雰囲気に触れ
仕事を忘れる瞬間も。。
 
    *   *   *

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写真は、学生達と見学に訪れた京町屋。
「通り庭」と呼ばれる土間の、丁度お台所にあたる2層吹き抜けの空間。

町屋の内部は、全体的にほの暗いなか、中庭からの光の変化を楽しむまさに「陰影礼賛」の世界。
その抑制の効いた空間にあって、この通り庭の「キッチン」は家中で一番明るい空間になっています。

蒸気や熱を逃がす工夫もあったでしょうが、
この通り庭はどの町屋でも必ず南か東に設けられているそうで、
明るく活動的な場所を充てたところに、「モダン」の精神の元に出会ったような気がしました。

「食」をつかさどる場に対する昔の人の感性、時間に耐え形作られたであろう原型にはやっぱり合理のようなものが備わっているのだな。
襟を正して敬意を払いたいと思います。




*  *  *

聞かれることが多いので、少しご説明しますと
毎回の授業で京都に行く訳ではなく、普段は東京にあるキャンパスでスクーリングを担当させていただきます。
住宅の設計を学ぶ「通信制」の大学院ですので、人生経験豊富な学生もちらほら。
教える事を通じて、わたし自身 一緒に学び直すような フレッシュな気持ちで住宅設計に向かう機会にもなりそうです。
各スタジオの諸先生方、事務局の皆様、そして学生達。どうぞよろしくお願いします。
声をかけてくださった師匠の伊藤寛氏に、この場を借りて。  ありがとうございます。
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by o-oik | 2012-04-24 11:32 | 建築

おくさんの家

先日の16日土曜、
以前お世話になった方のお誘いで
上原通りの住宅を見学することに。

建築家篠原一男さんが事務所を立ち上げてから
20年位の時に設計した住宅です。
竣工は1976年。

力強くも存在感のある構造と、住宅としての機能を満たした空間が
それぞれに成り立っている。
それは思いがけず居心地が良い。
ここは何をする為の場所、という縛りから自由になれる感じです。

エントランス上のトップライトがビシッと明るいのも良かった。

強烈な印象の篠原作品ですが
上原通りの家は、代がかわって2代目のおくさまからも愛されてました。
良い家はいつも「おくさんの家」だ。
というのは 言いすぎじゃないと思う。

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by o-oik | 2009-05-20 20:17 | 建築

銅の家訪問。

昨日は、新宿オペラシティの「木童」ショールームに朝から集合。

屋根の上にニラが生えた「ニラハウス」で有名な
藤森照信氏+大嶋アトリエ設計のコッパーハウスを見学するべく集まったのだ。
連・建築舎の伴現太氏は打合せを兼ねて大阪から、
木暮洋治建築研究所の木暮洋治氏、
建築修行中のN国嬢が顔をそろえているところに遅れて(!)及川到着。

藤森さんの設計に木童が木材を出しているとのことで、
木童が今回のオープンハウスの主宰。

ちなみに、木童さんは全国から探した産地の良質の国産材を
建て主や設計者に紹介している会社で、
産地と設計者の間に入り、
どのくらいの材が必要なのか、といった情報を 切旬(きりしゅん)の前に産地に伝えたりと、
コミュニケーションをとって、国産材を扱いやすくするポジション。
山の継続性をベースに据えた視点には 私も関心を持っています。

木童の雲林院(うんりいん)さんの解説で、
様々な材種や厚みの床材や構造材の展示を一通り見学。

杉、赤松、桧、カラマツに混じって関東ではあまり見かけない「ツガ」の床材も。
ツガというと、白っぽくボソボソして水によわい「米ツガ」が思い浮かびがちだけれども
国産のツガは木目も鮮やかで艶があり、赤みがかった密度の高い材でした。

本題のコッパーハウス(銅の家)は、
新品の十円玉のようにまぶしい姿の想像を裏切って、
すでに酸化皮膜がかかったマットな色調。
そのうちに緑色の家になるのだろうか?

晩はMジも合流して交流会。

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by o-oik | 2009-04-20 18:09 | 建築