石川丈山の終の住処ー京都その3

GWの前半いかがおすごしでしたか?
昨日はピーエスさんのノルディックウォークイベントに参加、久しぶりに18kmほど歩いてき
ました。
代々木八幡から出発して、都内をぐるっと表参道から麻布十番、アメリカ大使館の前を通って外堀通りに抜け、赤坂の御用邸に沿って明治神宮までもどるコース。ブランチをはさんで朝からお昼までたっぷり歩いて、充実した時間でした。(ピーエスのみなさん、ありがとうございました。)

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ここから「京都」のつづきです。
蓮華寺の本堂に掛かった寺額の作者で、作庭に加わった、とも言われている石川丈山が隠居の住まいとして造営したのが詩仙堂です。
現在は「丈山寺」という曹洞宗のお寺になっていますが、もともと「住宅」だったんです。訪れてみると、力がふーっと抜けてるようなくつろいだ雰囲気で、「ここはお寺ではナイ(空間が)」と知らせてくれます。訪ねたのは打合せの終わった月曜だったため見学者も少なく、時折風が通り抜けてゆく畳の上には、横になっている先客も…。

丈山は武を捨てて学問と詩に人生を定めた文人。庭と一体となるように縁が廻り、書院を繋いでいます。天井高は住宅らしく抑えられ、枯山水の方丈庭園はつつじの刈り込みと楓でいったん囲い込んで、落ち着いたスケールを守っておいて、階段をおりた2段目の庭、さらには渓水を挟んで南側に続く瓜生山の山林へと繋がる、どこまでが庭か分からないようなデザイン。四隅が丸く残った面皮柱が文人の終の棲家にピタッと嵌っておりました。
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調べてみると、丈山が凹凸窠(おうとつか)と呼ばれたこの地に過ごしたのは90歳で亡くなるまでのおよそ30年。

以下”  ”内は『艶隠者ー小説石川丈山』より引用。

”一眠りして起きだすと、新たな一日が始まる。凹凸窠の周辺の片付けをおわると、丈山は自分の好みに応じて山茶花や侘助椿、山桜に紅梅の梅、楓に棕櫚などを植えはじめた。下の庭には冬菜や芋を育てる畑。それも周りの原生林にとけこめるようにごく自然に配分しようとした。”
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椿にレンギョウ。下の庭は三段目まで続きますが、そこは後世の造営とのこと。小説にあるように、2段目は、はじめは菜園だったのかもしれませんね。獅子脅しが有名な庭。庭の手入れをしていたおばさまも「ここだけ見ておけば大丈夫!」と太鼓判を押しておられました。(写真は無し)
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”朝、白室と称した寝房を置き出で、燕居と称した居室で、門人の運んできた朝粥を食べ、猟芸巣から至楽巣と改名した書院に入って書見台に向かう。書に疲れると杖をひいて庭に入り、山林に向う。丈山の一日である。”

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正門を見る
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西日を受ける方丈庭園。
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書院から。
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当時の様子とは違っているやもしれませんが…
ちょうど春の開きかけの楓の緑もまぶしく、すばらしい庭でした。
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by o-oik | 2014-04-30 16:24 | 建築


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